紫陽花が見ごろということで

紫陽花が見ごろということで

【紫陽花図 銅版転写絵付けタイル/C.1900-20’イギリス】

紫陽花が見ごろということで、銅版転写絵付け技法により紫陽花が描かれたタイルを撮ってみました!。

 

銅版転写絵付けとは、絵柄を手掘した銅製の版を使って、陶磁器に絵柄を転写(プリント)する加飾技法のことです。
ちなみに、銅版転写絵付けという技法をトランスファー・プリント、その技法で絵付けされた陶磁器をトランスファー・ウェアと呼びます。

まず、銅版彫刻師が銅製の板に絵柄や模様を手掘りして、版を作ります。
次にその銅版にインクを塗って薄い転写紙に写しとります。
そして、その転写紙を素焼きした陶磁器の器面に貼り付けて絵柄を転写します。

この技術は、絵付けの安定性を高めること、手工業的な量産性を高めることを目的としたものでした。
一度銅版を作ってしまえば、同じ絵柄を何度も刷ることが出来るので、手描き加飾(ハンドペイント)に比べて格段に効率的でした。細密な絵柄はもとより、手で描かれたようなぼかしや、色々な図案を組み合わせたりすることも可能なので、様々な表現が可能な技法でもあります。


銅板転写による下絵付けの技術を開発したのは、イギリスのジョサイア・スポード1世。
のちにイギリス4大名窯と呼ばれることになる「スポード社」の創設者ジョサイア・スポード1世が銅版転写絵付けの技法を生み出す背景には、私たち日本(東洋)の陶磁器が少なからず影響していました。

スポード社は1770年、ストーク・オン・トレントに創設されました。
18世紀頃、ヨーロッパの上流階級の人々は、シノワズリ(東洋趣味)の流行もあって、東洋のハンドペイントの陶磁器を好みました。しかし、それらはとても高価であり簡単に手に入れることはできませんでした。
そこでイギリスの地元の窯々はそういった東洋の陶磁器の複製品を作るようになり、それらが広く評判を得ました。

こうした市場背景のもと、陶磁器の絵付けの安定性と生産性を高めるため、1784年に銅版転写絵付けの技法が考案されました。
スポード1世が考案したこの技法は、手描きしかありえなかった陶磁器の絵付けの世界に革命をもたらしたとまで言われます。

元々は量産のためのテクニックだったのですが、銅版転写絵付けならではの緻密な描写やオリジナリティの高い表現によって、多くの高級店からの注文製作を請け負うほどに高く評価され、銅版転写絵付けという新たなカテゴリーが確立されることとなります。1800年代半ばから後半へと向かうヴィクトリア朝時代には、多種多様な銅版絵付けが多くの窯から生み出され、その多様性には目を見張ります。


日本における銅版転写絵付けは、美濃(現在の岐阜県)を中心に展開していきました。
里泉焼(1841年開窯)が、江戸時代末期の1846年に日本で初めて銅板転写による絵付けを試みたとされますが、量産の特質を生かすまでに至らず短期間で終っています。

明治時代前半頃になると、輸出陶磁器の全盛期を迎えたことで、陶磁器産業の急速な工業化が進みます。より近代的な技術が導入されていく過程で銅版転写絵付けが再興され、明治中期には産業技術として確立。型紙絵付けとともに盛んに用いられるまでになりました。

このように、省力化・量産化という生産経営の近代的命題を目的とし、そこへ至る技術向上の過程で取り入れられたのが銅版転写絵付け技法です。しかし、現代ではより効率的な絵付けやプリントの技術が存在していることから、ある意味では古臭い技法となってしまいました。

これも時代の流れなので仕方のないことですが、この技法にしか醸し出すことができない情緒たっぷりな魅力があることも確かです。
銅版転写絵付けの品々は、比較的お買い求めやすいモノが多いです。どこかで手にとって当時のロマンを感じてみてください。

 

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