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紫陽花が見ごろということで
【紫陽花図 銅版転写絵付けタイル/C.1900-20’イギリス】 紫陽花が見ごろということで、銅版転写絵付け技法により紫陽花が描かれたタイルを撮ってみました!。 銅版転写絵付けとは、絵柄を手掘した銅製の版を使って、陶磁器に絵柄を転写(プリント)する加飾技法のことです。ちなみに、銅版転写絵付けという技法をトランスファー・プリント、その技法で絵付けされた陶磁器をトランスファー・ウェアと呼びます。 まず、銅版彫刻師が銅製の板に絵柄や模様を手掘りして、版を作ります。次にその銅版にインクを塗って薄い転写紙に写しとります。そして、その転写紙を素焼きした陶磁器の器面に貼り付けて絵柄を転写します。 この技術は、絵付けの安定性を高めること、手工業的な量産性を高めることを目的としたものでした。一度銅版を作ってしまえば、同じ絵柄を何度も刷ることが出来るので、手描き加飾(ハンドペイント)に比べて格段に効率的でした。細密な絵柄はもとより、手で描かれたようなぼかしや、色々な図案を組み合わせたりすることも可能なので、様々な表現が可能な技法でもあります。 銅板転写による下絵付けの技術を開発したのは、イギリスのジョサイア・スポード1世。のちにイギリス4大名窯と呼ばれることになる「スポード社」の創設者ジョサイア・スポード1世が銅版転写絵付けの技法を生み出す背景には、私たち日本(東洋)の陶磁器が少なからず影響していました。 スポード社は1770年、ストーク・オン・トレントに創設されました。18世紀頃、ヨーロッパの上流階級の人々は、シノワズリ(東洋趣味)の流行もあって、東洋のハンドペイントの陶磁器を好みました。しかし、それらはとても高価であり簡単に手に入れることはできませんでした。そこでイギリスの地元の窯々はそういった東洋の陶磁器の複製品を作るようになり、それらが広く評判を得ました。 こうした市場背景のもと、陶磁器の絵付けの安定性と生産性を高めるため、1784年に銅版転写絵付けの技法が考案されました。スポード1世が考案したこの技法は、手描きしかありえなかった陶磁器の絵付けの世界に革命をもたらしたとまで言われます。 元々は量産のためのテクニックだったのですが、銅版転写絵付けならではの緻密な描写やオリジナリティの高い表現によって、多くの高級店からの注文製作を請け負うほどに高く評価され、銅版転写絵付けという新たなカテゴリーが確立されることとなります。1800年代半ばから後半へと向かうヴィクトリア朝時代には、多種多様な銅版絵付けが多くの窯から生み出され、その多様性には目を見張ります。 日本における銅版転写絵付けは、美濃(現在の岐阜県)を中心に展開していきました。里泉焼(1841年開窯)が、江戸時代末期の1846年に日本で初めて銅板転写による絵付けを試みたとされますが、量産の特質を生かすまでに至らず短期間で終っています。 明治時代前半頃になると、輸出陶磁器の全盛期を迎えたことで、陶磁器産業の急速な工業化が進みます。より近代的な技術が導入されていく過程で銅版転写絵付けが再興され、明治中期には産業技術として確立。型紙絵付けとともに盛んに用いられるまでになりました。 このように、省力化・量産化という生産経営の近代的命題を目的とし、そこへ至る技術向上の過程で取り入れられたのが銅版転写絵付け技法です。しかし、現代ではより効率的な絵付けやプリントの技術が存在していることから、ある意味では古臭い技法となってしまいました。 これも時代の流れなので仕方のないことですが、この技法にしか醸し出すことができない情緒たっぷりな魅力があることも確かです。銅版転写絵付けの品々は、比較的お買い求めやすいモノが多いです。どこかで手にとって当時のロマンを感じてみてください。
紫陽花が見ごろということで
【紫陽花図 銅版転写絵付けタイル/C.1900-20’イギリス】 紫陽花が見ごろということで、銅版転写絵付け技法により紫陽花が描かれたタイルを撮ってみました!。 銅版転写絵付けとは、絵柄を手掘した銅製の版を使って、陶磁器に絵柄を転写(プリント)する加飾技法のことです。ちなみに、銅版転写絵付けという技法をトランスファー・プリント、その技法で絵付けされた陶磁器をトランスファー・ウェアと呼びます。 まず、銅版彫刻師が銅製の板に絵柄や模様を手掘りして、版を作ります。次にその銅版にインクを塗って薄い転写紙に写しとります。そして、その転写紙を素焼きした陶磁器の器面に貼り付けて絵柄を転写します。 この技術は、絵付けの安定性を高めること、手工業的な量産性を高めることを目的としたものでした。一度銅版を作ってしまえば、同じ絵柄を何度も刷ることが出来るので、手描き加飾(ハンドペイント)に比べて格段に効率的でした。細密な絵柄はもとより、手で描かれたようなぼかしや、色々な図案を組み合わせたりすることも可能なので、様々な表現が可能な技法でもあります。 銅板転写による下絵付けの技術を開発したのは、イギリスのジョサイア・スポード1世。のちにイギリス4大名窯と呼ばれることになる「スポード社」の創設者ジョサイア・スポード1世が銅版転写絵付けの技法を生み出す背景には、私たち日本(東洋)の陶磁器が少なからず影響していました。 スポード社は1770年、ストーク・オン・トレントに創設されました。18世紀頃、ヨーロッパの上流階級の人々は、シノワズリ(東洋趣味)の流行もあって、東洋のハンドペイントの陶磁器を好みました。しかし、それらはとても高価であり簡単に手に入れることはできませんでした。そこでイギリスの地元の窯々はそういった東洋の陶磁器の複製品を作るようになり、それらが広く評判を得ました。 こうした市場背景のもと、陶磁器の絵付けの安定性と生産性を高めるため、1784年に銅版転写絵付けの技法が考案されました。スポード1世が考案したこの技法は、手描きしかありえなかった陶磁器の絵付けの世界に革命をもたらしたとまで言われます。 元々は量産のためのテクニックだったのですが、銅版転写絵付けならではの緻密な描写やオリジナリティの高い表現によって、多くの高級店からの注文製作を請け負うほどに高く評価され、銅版転写絵付けという新たなカテゴリーが確立されることとなります。1800年代半ばから後半へと向かうヴィクトリア朝時代には、多種多様な銅版絵付けが多くの窯から生み出され、その多様性には目を見張ります。 日本における銅版転写絵付けは、美濃(現在の岐阜県)を中心に展開していきました。里泉焼(1841年開窯)が、江戸時代末期の1846年に日本で初めて銅板転写による絵付けを試みたとされますが、量産の特質を生かすまでに至らず短期間で終っています。 明治時代前半頃になると、輸出陶磁器の全盛期を迎えたことで、陶磁器産業の急速な工業化が進みます。より近代的な技術が導入されていく過程で銅版転写絵付けが再興され、明治中期には産業技術として確立。型紙絵付けとともに盛んに用いられるまでになりました。 このように、省力化・量産化という生産経営の近代的命題を目的とし、そこへ至る技術向上の過程で取り入れられたのが銅版転写絵付け技法です。しかし、現代ではより効率的な絵付けやプリントの技術が存在していることから、ある意味では古臭い技法となってしまいました。 これも時代の流れなので仕方のないことですが、この技法にしか醸し出すことができない情緒たっぷりな魅力があることも確かです。銅版転写絵付けの品々は、比較的お買い求めやすいモノが多いです。どこかで手にとって当時のロマンを感じてみてください。

ゴールデンウィークは
当店は月曜日が定休日ですが、月曜日が祝日の場合には営業いたします。今年のゴールデンウィーク期間中の5/5(月祝)は営業しますので、ぜひ遊びにいらしてください。 これから暑くなっていくこともあり、店内にはアンティークのガラス器が増えてきました。最近はマイグラスを探しにいらっしゃるお客様が多く、「自分専用のマイグラスで飲むビールは格別!」・・・なんてお声を聞きます。 今回は当店近くの観光スポットをご紹介。古く万葉の時代から景勝地として知られる「日本平」は、当店のすぐ近くにあります。日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたこともある、日本屈指の名勝です。 2018年に山頂にオープンした「日本平夢テラス」は、隈研吾氏の設計によるモダンな正八角形の木造展望施設です。八角形の形状は奈良・法隆寺の夢殿にヒントを得たのだそうです。標高307mに建つ日本平夢テラスの3階には全方位ガラス張りの展望フロアがあり、そこから続く屋外展望回廊からは360度のパノラマが広がっています。 世界遺産の富士山から駿河湾の海岸線をなぞるように日本平へと繋がる雄大な景色を楽しむことができ、遮るものがないその眼下には、静岡市街地、清水港、伊豆半島、三保松原、南アルプスなどの、静岡の眺望を楽しむことができます。 そうそう、日本平は夜景が綺麗なことでも有名です(7つの夜景ポイントがあるのだとか)。 徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」へも、日本平山頂のロープウェイを使って行くことができます。全長1,065mのロープウェイの空中散歩では、切り立つ絶壁「屏風谷」の四季折々の風景、久能海岸、さらには御前崎や伊豆半島まで見渡せることができます。 元和3年(1617年)に建立された、久能山東照宮の御社殿は国宝に指定されています。権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式で作られた社殿は、江戸初期の技術と芸術が凝縮された豪華絢爛な作りをしています。漆塗、彫刻、金箔などで極彩色に彩られた眩き社殿は、約400年を経た現代でも参拝者の目を楽しませてくれるものです。境内には他にも重要文化財が盛りだくさんです。 日本平は、観光、体験、買い物、食事、宿泊などの周辺施設も充実しています。 個人的オススメは、毎月第4土曜日に開催される夜型マルシェ「日本平夜市」です。夜景遺産に認定された素晴らしい夜景をバックに、フードや雑貨など約60~70店が立ち並び、音楽やワークショップも楽しめます。 子供から大人までお楽しみ頂けるイベントですよ!さらには、野外シアターやメリーゴーランド、グランピングやアウトドアサウナ、クラフトビールやトラックBARなどの諸々のアイデア催事でパワーアップする「ワンダー夜市」というスペシャルデーもあります。詳しくは検索を! 当店から日本平夢テラスまでは車で15分くらいです。 自然と眺望が楽しめるドライブコースである日本平パークウェイを使ってのアクセスがお勧めです。パークウェイの道中には、静岡県舞台芸術公園や日本平動物園などの観光スポットもあります。 ゴールデンウィークのお出かけにオススメの日本平観光。その際にはぜひ当店にもお立ち寄りください。
ゴールデンウィークは
当店は月曜日が定休日ですが、月曜日が祝日の場合には営業いたします。今年のゴールデンウィーク期間中の5/5(月祝)は営業しますので、ぜひ遊びにいらしてください。 これから暑くなっていくこともあり、店内にはアンティークのガラス器が増えてきました。最近はマイグラスを探しにいらっしゃるお客様が多く、「自分専用のマイグラスで飲むビールは格別!」・・・なんてお声を聞きます。 今回は当店近くの観光スポットをご紹介。古く万葉の時代から景勝地として知られる「日本平」は、当店のすぐ近くにあります。日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたこともある、日本屈指の名勝です。 2018年に山頂にオープンした「日本平夢テラス」は、隈研吾氏の設計によるモダンな正八角形の木造展望施設です。八角形の形状は奈良・法隆寺の夢殿にヒントを得たのだそうです。標高307mに建つ日本平夢テラスの3階には全方位ガラス張りの展望フロアがあり、そこから続く屋外展望回廊からは360度のパノラマが広がっています。 世界遺産の富士山から駿河湾の海岸線をなぞるように日本平へと繋がる雄大な景色を楽しむことができ、遮るものがないその眼下には、静岡市街地、清水港、伊豆半島、三保松原、南アルプスなどの、静岡の眺望を楽しむことができます。 そうそう、日本平は夜景が綺麗なことでも有名です(7つの夜景ポイントがあるのだとか)。 徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」へも、日本平山頂のロープウェイを使って行くことができます。全長1,065mのロープウェイの空中散歩では、切り立つ絶壁「屏風谷」の四季折々の風景、久能海岸、さらには御前崎や伊豆半島まで見渡せることができます。 元和3年(1617年)に建立された、久能山東照宮の御社殿は国宝に指定されています。権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式で作られた社殿は、江戸初期の技術と芸術が凝縮された豪華絢爛な作りをしています。漆塗、彫刻、金箔などで極彩色に彩られた眩き社殿は、約400年を経た現代でも参拝者の目を楽しませてくれるものです。境内には他にも重要文化財が盛りだくさんです。 日本平は、観光、体験、買い物、食事、宿泊などの周辺施設も充実しています。 個人的オススメは、毎月第4土曜日に開催される夜型マルシェ「日本平夜市」です。夜景遺産に認定された素晴らしい夜景をバックに、フードや雑貨など約60~70店が立ち並び、音楽やワークショップも楽しめます。 子供から大人までお楽しみ頂けるイベントですよ!さらには、野外シアターやメリーゴーランド、グランピングやアウトドアサウナ、クラフトビールやトラックBARなどの諸々のアイデア催事でパワーアップする「ワンダー夜市」というスペシャルデーもあります。詳しくは検索を! 当店から日本平夢テラスまでは車で15分くらいです。 自然と眺望が楽しめるドライブコースである日本平パークウェイを使ってのアクセスがお勧めです。パークウェイの道中には、静岡県舞台芸術公園や日本平動物園などの観光スポットもあります。 ゴールデンウィークのお出かけにオススメの日本平観光。その際にはぜひ当店にもお立ち寄りください。

胴吹き桜
店から200mくらいにある池田公園は、春になるとソメイヨシノがたくさん咲く公園です。満開の時期には、シートを広げてお花見をしている方もいます。 「何部咲きくらいかな?」と様子を見に行ってみたところ、開花しているものと蕾のものが混在している“咲き始め”の頃合いでした。明日からまた寒くなるようなので、来週末くらいが満開の頃でしょうか。 ソメイヨシノは日本を代表する桜の品種で、淡い紅色の花が一斉に咲いて散ります。その名称は、江戸時代末期の染井村(現在の東京都豊島区の巣鴨から駒込あたり)の発祥に由来します。 園芸の里である染井村には多くの植木職人や造園師が住んでおり、園芸の技術向上や花木の品種改良に励んでいました。ある植木職人によって、エドヒガンとオオシマサクラを配合させた新しい桜が作り出されました。それは桜の名所として名高い大和国の吉野山にちなんで「吉野桜」と名付けて売り出し、全国へ広まりました。吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れから、1900年に博物学者の藤野寄命によって「染井吉野」と名付けられました。 接ぎ木に適し環境適応性も高いことから、明治時代以降全国で植樹されました。現在は北海道の一部と沖縄を除くほぼ全国に分布し、全国の桜の約80%がソメイヨシノと言われています。そうしたことから、現代の多くの日本人は桜と言えばソメイヨシノをイメージするようになりました。 春の象徴とも言えるソメイヨシノの、開花直前の姿が小粋で可愛らしかったので撮ってみました。私・・・枝に咲く桜ももちろん好きなのですが、なぜか幹に咲く桜のほうに目が行ってしまいます。 幹に花が咲くこの現象は「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と呼ばれ、樹齢を重ねた老木でよく見られる現象のようです。桜は老木になってくると、葉で光合成をする力や根から栄養を取る力が衰えてきてしまい、土台である幹に栄養が回りにくくなってくるのだとか。そこで老桜は、少しでも多くのエネルギー確保を図ろうと、既存の枝だけでなく幹からも直接花を咲かせるのだそうです。 胴吹き桜は、桜の木を守るためにどの枝よりも早く花をつけ、他の花が散ってもなお遅くまで咲き続けるそうで、そこに老桜の生命力と気骨のようなものを感じることができますね。 枝には、春の使者・シジュウカラがとまって、ツツピー、ツツピーと囀っていました。その地面には、春の風物詩・タンポポが黄色い花を咲かせていました。そんな感じで公園は春の訪れで賑わっていました。 さて、あとで桜餅でも頂きましょうか。
胴吹き桜
店から200mくらいにある池田公園は、春になるとソメイヨシノがたくさん咲く公園です。満開の時期には、シートを広げてお花見をしている方もいます。 「何部咲きくらいかな?」と様子を見に行ってみたところ、開花しているものと蕾のものが混在している“咲き始め”の頃合いでした。明日からまた寒くなるようなので、来週末くらいが満開の頃でしょうか。 ソメイヨシノは日本を代表する桜の品種で、淡い紅色の花が一斉に咲いて散ります。その名称は、江戸時代末期の染井村(現在の東京都豊島区の巣鴨から駒込あたり)の発祥に由来します。 園芸の里である染井村には多くの植木職人や造園師が住んでおり、園芸の技術向上や花木の品種改良に励んでいました。ある植木職人によって、エドヒガンとオオシマサクラを配合させた新しい桜が作り出されました。それは桜の名所として名高い大和国の吉野山にちなんで「吉野桜」と名付けて売り出し、全国へ広まりました。吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れから、1900年に博物学者の藤野寄命によって「染井吉野」と名付けられました。 接ぎ木に適し環境適応性も高いことから、明治時代以降全国で植樹されました。現在は北海道の一部と沖縄を除くほぼ全国に分布し、全国の桜の約80%がソメイヨシノと言われています。そうしたことから、現代の多くの日本人は桜と言えばソメイヨシノをイメージするようになりました。 春の象徴とも言えるソメイヨシノの、開花直前の姿が小粋で可愛らしかったので撮ってみました。私・・・枝に咲く桜ももちろん好きなのですが、なぜか幹に咲く桜のほうに目が行ってしまいます。 幹に花が咲くこの現象は「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と呼ばれ、樹齢を重ねた老木でよく見られる現象のようです。桜は老木になってくると、葉で光合成をする力や根から栄養を取る力が衰えてきてしまい、土台である幹に栄養が回りにくくなってくるのだとか。そこで老桜は、少しでも多くのエネルギー確保を図ろうと、既存の枝だけでなく幹からも直接花を咲かせるのだそうです。 胴吹き桜は、桜の木を守るためにどの枝よりも早く花をつけ、他の花が散ってもなお遅くまで咲き続けるそうで、そこに老桜の生命力と気骨のようなものを感じることができますね。 枝には、春の使者・シジュウカラがとまって、ツツピー、ツツピーと囀っていました。その地面には、春の風物詩・タンポポが黄色い花を咲かせていました。そんな感じで公園は春の訪れで賑わっていました。 さて、あとで桜餅でも頂きましょうか。

八重桜?
こちらは近隣に咲く桜です(八重桜?)。 まだちらほらと蕾も見られますが、ほぼ満開の頃合いでしょう。可愛らしくふっくらとした姿は、前述の河津桜とはまた違った魅力を持っていますね。(なんという名前の桜なのかご存じの方がおられたら教えてください。) 「桜」はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹の総称です。そして、現在日本で見られる桜の種類は500種以上もあるのだそうです。 桜といえば染井吉野を思い浮かべてしまいますよね。店舗のすぐ脇に染井吉野が生えているのですが、3月下旬から4月上旬が開花時期なので、まだまだ開花の様子は見られませんでした。染井吉野が開花する頃には寒さも落ち着いて、本格的な春の訪れとなります。春らしい陽気とともに、その咲きっぷりと散りっぷりを楽しめることでしょう。 なんだかんだで、毎年の桜を楽しみにしている自分がいます。そんな方って多いのではないでしょうか。私たち日本人が愛してやまない桜は、古代から日本の文化や伝統と深く結びついて、日本人の精神や価値観に深く影響を与えてきました。長い冬を超えて迎える春の訪れに希望や絆を覚え、その美しさと儚さに無常の概念を思い起させてくれる桜は、日本人にとって単なる花以上の存在なのかもしれません。
八重桜?
こちらは近隣に咲く桜です(八重桜?)。 まだちらほらと蕾も見られますが、ほぼ満開の頃合いでしょう。可愛らしくふっくらとした姿は、前述の河津桜とはまた違った魅力を持っていますね。(なんという名前の桜なのかご存じの方がおられたら教えてください。) 「桜」はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹の総称です。そして、現在日本で見られる桜の種類は500種以上もあるのだそうです。 桜といえば染井吉野を思い浮かべてしまいますよね。店舗のすぐ脇に染井吉野が生えているのですが、3月下旬から4月上旬が開花時期なので、まだまだ開花の様子は見られませんでした。染井吉野が開花する頃には寒さも落ち着いて、本格的な春の訪れとなります。春らしい陽気とともに、その咲きっぷりと散りっぷりを楽しめることでしょう。 なんだかんだで、毎年の桜を楽しみにしている自分がいます。そんな方って多いのではないでしょうか。私たち日本人が愛してやまない桜は、古代から日本の文化や伝統と深く結びついて、日本人の精神や価値観に深く影響を与えてきました。長い冬を超えて迎える春の訪れに希望や絆を覚え、その美しさと儚さに無常の概念を思い起させてくれる桜は、日本人にとって単なる花以上の存在なのかもしれません。

河津桜
近隣にある静岡県立大学小鹿キャンパスの側道を通りかかったところ、建物と建物の間に「河津桜」が咲いていました。 満開を少しだけ越えた頃合いでしょうか。若葉が目立ち始めていましたが、ギリギリ見ごろに間に合ったタイミングだったと思います。 早咲きの品種である河津桜ですが、寒さの影響から昨年より2週間ほど開花時期が遅れているそうです。例年どおりなら見ごろの時期は過ぎていたかもしれませんので、ラッキーな発見となってくれました。来年はもっと早目に見に来てみようと思います。 それにしても、今まで何度もこの道を通っていたにもかかわらず、こんなところに河津桜が咲いているなんてまったく気づきませんでした。長く居る地域であっても、こうした新しい発見はまだまだあるものです。興味や関心のアンテナを広げておく姿勢を忘れてはいけませんね。
河津桜
近隣にある静岡県立大学小鹿キャンパスの側道を通りかかったところ、建物と建物の間に「河津桜」が咲いていました。 満開を少しだけ越えた頃合いでしょうか。若葉が目立ち始めていましたが、ギリギリ見ごろに間に合ったタイミングだったと思います。 早咲きの品種である河津桜ですが、寒さの影響から昨年より2週間ほど開花時期が遅れているそうです。例年どおりなら見ごろの時期は過ぎていたかもしれませんので、ラッキーな発見となってくれました。来年はもっと早目に見に来てみようと思います。 それにしても、今まで何度もこの道を通っていたにもかかわらず、こんなところに河津桜が咲いているなんてまったく気づきませんでした。長く居る地域であっても、こうした新しい発見はまだまだあるものです。興味や関心のアンテナを広げておく姿勢を忘れてはいけませんね。

心をゆるめてくれるモノ
ガラス瓶に名前も知らない草木を挿してみました。 花瓶に切り花を挿して飾ると、インテリアに潤い与えてくれるので気分まで明るくなるのですが、こうした「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」のも・・・なにか好きなんですよね。 このガラス瓶は、光が抜けないと黒色に見えるくらい深い緑色のガラスで出来ています。瓶の中身の品質を維持するためには、光の影響を受けにくい茶色ガラスや緑色ガラスが適しているのだそうです。 ボトルの肩には、KRASとエンボスされた丸型のガラス製の“シール”があります。こうしたシールには、個人の名前やイニシャル・紋章や家紋、居酒屋や商業施設の店名、ボトルに何が入っているかを示す文字やデザイン、商人や醸造家のマーチャントマーク、製造業者の識別マークや商標マーク、時には日付などが刻まれています。 シールは、製造工程の最終段階でボトルの製造業者によって施されました。ガラスボトル(吹きガラスまたは成型ガラス)がまだ温かいうちに“小さな溶けたガラスの塊”を置き、そこに文字やマークが刻まれた金型をスタンプのように押し付けて作られました。 シールが施されたガラスボトルの最古の記録は、1571年にまで遡るというのだから驚きです。元々はワイン用のガラスボトルにこうしたシールが施されました。その頃はワイン自体が高価でしたが、ガラスボトルに入ったワインはさらに高価なものでした。シールに刻印された個人の名前・イニシャル・紋章などは、ワインの所有権を示すだけでなく、ある種のステータスシンボルとしても機能したのだそうです。 今回撮ったボトルは、ワインボトルではありません。フォルムやガラス色を見ますと、ベネディクティン(フランス産のブランデーベースのリキュール)の古いボトルに良く似ているのですが、ベネディクティンボトルとはシール部分のデザインが全く違います。また、シールにある“KRAS”という文字も何を示しているのか分かりません。各部の特徴から20世紀前期頃のリキュールボトルと推察されますが、それ以上はいまのところ不明です。ボトルマニア(?)の方で分かるかたがいらっしゃったら、ぜひ教えてください。 さて、細かなウンチクは横に置いておきましょう。 こうした、「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」の、その気負い過ぎていない立ち姿が好きなんですよね。そんなに気を張らないでリラックスしていいんだよ・・・感が出ていて心がほっとします。 必要以上に力んでしまうことの多い現代生活。日々の暮らしのなかに、こうした“心をゆるめてくれるモノ”を取り入れてみてください。
心をゆるめてくれるモノ
ガラス瓶に名前も知らない草木を挿してみました。 花瓶に切り花を挿して飾ると、インテリアに潤い与えてくれるので気分まで明るくなるのですが、こうした「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」のも・・・なにか好きなんですよね。 このガラス瓶は、光が抜けないと黒色に見えるくらい深い緑色のガラスで出来ています。瓶の中身の品質を維持するためには、光の影響を受けにくい茶色ガラスや緑色ガラスが適しているのだそうです。 ボトルの肩には、KRASとエンボスされた丸型のガラス製の“シール”があります。こうしたシールには、個人の名前やイニシャル・紋章や家紋、居酒屋や商業施設の店名、ボトルに何が入っているかを示す文字やデザイン、商人や醸造家のマーチャントマーク、製造業者の識別マークや商標マーク、時には日付などが刻まれています。 シールは、製造工程の最終段階でボトルの製造業者によって施されました。ガラスボトル(吹きガラスまたは成型ガラス)がまだ温かいうちに“小さな溶けたガラスの塊”を置き、そこに文字やマークが刻まれた金型をスタンプのように押し付けて作られました。 シールが施されたガラスボトルの最古の記録は、1571年にまで遡るというのだから驚きです。元々はワイン用のガラスボトルにこうしたシールが施されました。その頃はワイン自体が高価でしたが、ガラスボトルに入ったワインはさらに高価なものでした。シールに刻印された個人の名前・イニシャル・紋章などは、ワインの所有権を示すだけでなく、ある種のステータスシンボルとしても機能したのだそうです。 今回撮ったボトルは、ワインボトルではありません。フォルムやガラス色を見ますと、ベネディクティン(フランス産のブランデーベースのリキュール)の古いボトルに良く似ているのですが、ベネディクティンボトルとはシール部分のデザインが全く違います。また、シールにある“KRAS”という文字も何を示しているのか分かりません。各部の特徴から20世紀前期頃のリキュールボトルと推察されますが、それ以上はいまのところ不明です。ボトルマニア(?)の方で分かるかたがいらっしゃったら、ぜひ教えてください。 さて、細かなウンチクは横に置いておきましょう。 こうした、「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」の、その気負い過ぎていない立ち姿が好きなんですよね。そんなに気を張らないでリラックスしていいんだよ・・・感が出ていて心がほっとします。 必要以上に力んでしまうことの多い現代生活。日々の暮らしのなかに、こうした“心をゆるめてくれるモノ”を取り入れてみてください。