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ゴールデンウィークは

ゴールデンウィークは

当店は月曜日が定休日ですが、月曜日が祝日の場合には営業いたします。今年のゴールデンウィーク期間中の5/5(月祝)は営業しますので、ぜひ遊びにいらしてください。 これから暑くなっていくこともあり、店内にはアンティークのガラス器が増えてきました。最近はマイグラスを探しにいらっしゃるお客様が多く、「自分専用のマイグラスで飲むビールは格別!」・・・なんてお声を聞きます。   今回は当店近くの観光スポットをご紹介。古く万葉の時代から景勝地として知られる「日本平」は、当店のすぐ近くにあります。日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたこともある、日本屈指の名勝です。 2018年に山頂にオープンした「日本平夢テラス」は、隈研吾氏の設計によるモダンな正八角形の木造展望施設です。八角形の形状は奈良・法隆寺の夢殿にヒントを得たのだそうです。標高307mに建つ日本平夢テラスの3階には全方位ガラス張りの展望フロアがあり、そこから続く屋外展望回廊からは360度のパノラマが広がっています。 世界遺産の富士山から駿河湾の海岸線をなぞるように日本平へと繋がる雄大な景色を楽しむことができ、遮るものがないその眼下には、静岡市街地、清水港、伊豆半島、三保松原、南アルプスなどの、静岡の眺望を楽しむことができます。 そうそう、日本平は夜景が綺麗なことでも有名です(7つの夜景ポイントがあるのだとか)。 徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」へも、日本平山頂のロープウェイを使って行くことができます。全長1,065mのロープウェイの空中散歩では、切り立つ絶壁「屏風谷」の四季折々の風景、久能海岸、さらには御前崎や伊豆半島まで見渡せることができます。 元和3年(1617年)に建立された、久能山東照宮の御社殿は国宝に指定されています。権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式で作られた社殿は、江戸初期の技術と芸術が凝縮された豪華絢爛な作りをしています。漆塗、彫刻、金箔などで極彩色に彩られた眩き社殿は、約400年を経た現代でも参拝者の目を楽しませてくれるものです。境内には他にも重要文化財が盛りだくさんです。 日本平は、観光、体験、買い物、食事、宿泊などの周辺施設も充実しています。 個人的オススメは、毎月第4土曜日に開催される夜型マルシェ「日本平夜市」です。夜景遺産に認定された素晴らしい夜景をバックに、フードや雑貨など約60~70店が立ち並び、音楽やワークショップも楽しめます。 子供から大人までお楽しみ頂けるイベントですよ!さらには、野外シアターやメリーゴーランド、グランピングやアウトドアサウナ、クラフトビールやトラックBARなどの諸々のアイデア催事でパワーアップする「ワンダー夜市」というスペシャルデーもあります。詳しくは検索を! 当店から日本平夢テラスまでは車で15分くらいです。 自然と眺望が楽しめるドライブコースである日本平パークウェイを使ってのアクセスがお勧めです。パークウェイの道中には、静岡県舞台芸術公園や日本平動物園などの観光スポットもあります。 ゴールデンウィークのお出かけにオススメの日本平観光。その際にはぜひ当店にもお立ち寄りください。  

ゴールデンウィークは

当店は月曜日が定休日ですが、月曜日が祝日の場合には営業いたします。今年のゴールデンウィーク期間中の5/5(月祝)は営業しますので、ぜひ遊びにいらしてください。 これから暑くなっていくこともあり、店内にはアンティークのガラス器が増えてきました。最近はマイグラスを探しにいらっしゃるお客様が多く、「自分専用のマイグラスで飲むビールは格別!」・・・なんてお声を聞きます。   今回は当店近くの観光スポットをご紹介。古く万葉の時代から景勝地として知られる「日本平」は、当店のすぐ近くにあります。日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたこともある、日本屈指の名勝です。 2018年に山頂にオープンした「日本平夢テラス」は、隈研吾氏の設計によるモダンな正八角形の木造展望施設です。八角形の形状は奈良・法隆寺の夢殿にヒントを得たのだそうです。標高307mに建つ日本平夢テラスの3階には全方位ガラス張りの展望フロアがあり、そこから続く屋外展望回廊からは360度のパノラマが広がっています。 世界遺産の富士山から駿河湾の海岸線をなぞるように日本平へと繋がる雄大な景色を楽しむことができ、遮るものがないその眼下には、静岡市街地、清水港、伊豆半島、三保松原、南アルプスなどの、静岡の眺望を楽しむことができます。 そうそう、日本平は夜景が綺麗なことでも有名です(7つの夜景ポイントがあるのだとか)。 徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」へも、日本平山頂のロープウェイを使って行くことができます。全長1,065mのロープウェイの空中散歩では、切り立つ絶壁「屏風谷」の四季折々の風景、久能海岸、さらには御前崎や伊豆半島まで見渡せることができます。 元和3年(1617年)に建立された、久能山東照宮の御社殿は国宝に指定されています。権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式で作られた社殿は、江戸初期の技術と芸術が凝縮された豪華絢爛な作りをしています。漆塗、彫刻、金箔などで極彩色に彩られた眩き社殿は、約400年を経た現代でも参拝者の目を楽しませてくれるものです。境内には他にも重要文化財が盛りだくさんです。 日本平は、観光、体験、買い物、食事、宿泊などの周辺施設も充実しています。 個人的オススメは、毎月第4土曜日に開催される夜型マルシェ「日本平夜市」です。夜景遺産に認定された素晴らしい夜景をバックに、フードや雑貨など約60~70店が立ち並び、音楽やワークショップも楽しめます。 子供から大人までお楽しみ頂けるイベントですよ!さらには、野外シアターやメリーゴーランド、グランピングやアウトドアサウナ、クラフトビールやトラックBARなどの諸々のアイデア催事でパワーアップする「ワンダー夜市」というスペシャルデーもあります。詳しくは検索を! 当店から日本平夢テラスまでは車で15分くらいです。 自然と眺望が楽しめるドライブコースである日本平パークウェイを使ってのアクセスがお勧めです。パークウェイの道中には、静岡県舞台芸術公園や日本平動物園などの観光スポットもあります。 ゴールデンウィークのお出かけにオススメの日本平観光。その際にはぜひ当店にもお立ち寄りください。  

胴吹き桜

胴吹き桜

店から200mくらいにある池田公園は、春になるとソメイヨシノがたくさん咲く公園です。満開の時期には、シートを広げてお花見をしている方もいます。 「何部咲きくらいかな?」と様子を見に行ってみたところ、開花しているものと蕾のものが混在している“咲き始め”の頃合いでした。明日からまた寒くなるようなので、来週末くらいが満開の頃でしょうか。 ソメイヨシノは日本を代表する桜の品種で、淡い紅色の花が一斉に咲いて散ります。その名称は、江戸時代末期の染井村(現在の東京都豊島区の巣鴨から駒込あたり)の発祥に由来します。 園芸の里である染井村には多くの植木職人や造園師が住んでおり、園芸の技術向上や花木の品種改良に励んでいました。ある植木職人によって、エドヒガンとオオシマサクラを配合させた新しい桜が作り出されました。それは桜の名所として名高い大和国の吉野山にちなんで「吉野桜」と名付けて売り出し、全国へ広まりました。吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れから、1900年に博物学者の藤野寄命によって「染井吉野」と名付けられました。 接ぎ木に適し環境適応性も高いことから、明治時代以降全国で植樹されました。現在は北海道の一部と沖縄を除くほぼ全国に分布し、全国の桜の約80%がソメイヨシノと言われています。そうしたことから、現代の多くの日本人は桜と言えばソメイヨシノをイメージするようになりました。 春の象徴とも言えるソメイヨシノの、開花直前の姿が小粋で可愛らしかったので撮ってみました。私・・・枝に咲く桜ももちろん好きなのですが、なぜか幹に咲く桜のほうに目が行ってしまいます。 幹に花が咲くこの現象は「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と呼ばれ、樹齢を重ねた老木でよく見られる現象のようです。桜は老木になってくると、葉で光合成をする力や根から栄養を取る力が衰えてきてしまい、土台である幹に栄養が回りにくくなってくるのだとか。そこで老桜は、少しでも多くのエネルギー確保を図ろうと、既存の枝だけでなく幹からも直接花を咲かせるのだそうです。 胴吹き桜は、桜の木を守るためにどの枝よりも早く花をつけ、他の花が散ってもなお遅くまで咲き続けるそうで、そこに老桜の生命力と気骨のようなものを感じることができますね。 枝には、春の使者・シジュウカラがとまって、ツツピー、ツツピーと囀っていました。その地面には、春の風物詩・タンポポが黄色い花を咲かせていました。そんな感じで公園は春の訪れで賑わっていました。 さて、あとで桜餅でも頂きましょうか。

胴吹き桜

店から200mくらいにある池田公園は、春になるとソメイヨシノがたくさん咲く公園です。満開の時期には、シートを広げてお花見をしている方もいます。 「何部咲きくらいかな?」と様子を見に行ってみたところ、開花しているものと蕾のものが混在している“咲き始め”の頃合いでした。明日からまた寒くなるようなので、来週末くらいが満開の頃でしょうか。 ソメイヨシノは日本を代表する桜の品種で、淡い紅色の花が一斉に咲いて散ります。その名称は、江戸時代末期の染井村(現在の東京都豊島区の巣鴨から駒込あたり)の発祥に由来します。 園芸の里である染井村には多くの植木職人や造園師が住んでおり、園芸の技術向上や花木の品種改良に励んでいました。ある植木職人によって、エドヒガンとオオシマサクラを配合させた新しい桜が作り出されました。それは桜の名所として名高い大和国の吉野山にちなんで「吉野桜」と名付けて売り出し、全国へ広まりました。吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れから、1900年に博物学者の藤野寄命によって「染井吉野」と名付けられました。 接ぎ木に適し環境適応性も高いことから、明治時代以降全国で植樹されました。現在は北海道の一部と沖縄を除くほぼ全国に分布し、全国の桜の約80%がソメイヨシノと言われています。そうしたことから、現代の多くの日本人は桜と言えばソメイヨシノをイメージするようになりました。 春の象徴とも言えるソメイヨシノの、開花直前の姿が小粋で可愛らしかったので撮ってみました。私・・・枝に咲く桜ももちろん好きなのですが、なぜか幹に咲く桜のほうに目が行ってしまいます。 幹に花が咲くこの現象は「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と呼ばれ、樹齢を重ねた老木でよく見られる現象のようです。桜は老木になってくると、葉で光合成をする力や根から栄養を取る力が衰えてきてしまい、土台である幹に栄養が回りにくくなってくるのだとか。そこで老桜は、少しでも多くのエネルギー確保を図ろうと、既存の枝だけでなく幹からも直接花を咲かせるのだそうです。 胴吹き桜は、桜の木を守るためにどの枝よりも早く花をつけ、他の花が散ってもなお遅くまで咲き続けるそうで、そこに老桜の生命力と気骨のようなものを感じることができますね。 枝には、春の使者・シジュウカラがとまって、ツツピー、ツツピーと囀っていました。その地面には、春の風物詩・タンポポが黄色い花を咲かせていました。そんな感じで公園は春の訪れで賑わっていました。 さて、あとで桜餅でも頂きましょうか。

八重桜?

八重桜?

こちらは近隣に咲く桜です(八重桜?)。 まだちらほらと蕾も見られますが、ほぼ満開の頃合いでしょう。可愛らしくふっくらとした姿は、前述の河津桜とはまた違った魅力を持っていますね。(なんという名前の桜なのかご存じの方がおられたら教えてください。) 「桜」はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹の総称です。そして、現在日本で見られる桜の種類は500種以上もあるのだそうです。 桜といえば染井吉野を思い浮かべてしまいますよね。店舗のすぐ脇に染井吉野が生えているのですが、3月下旬から4月上旬が開花時期なので、まだまだ開花の様子は見られませんでした。染井吉野が開花する頃には寒さも落ち着いて、本格的な春の訪れとなります。春らしい陽気とともに、その咲きっぷりと散りっぷりを楽しめることでしょう。 なんだかんだで、毎年の桜を楽しみにしている自分がいます。そんな方って多いのではないでしょうか。私たち日本人が愛してやまない桜は、古代から日本の文化や伝統と深く結びついて、日本人の精神や価値観に深く影響を与えてきました。長い冬を超えて迎える春の訪れに希望や絆を覚え、その美しさと儚さに無常の概念を思い起させてくれる桜は、日本人にとって単なる花以上の存在なのかもしれません。

八重桜?

こちらは近隣に咲く桜です(八重桜?)。 まだちらほらと蕾も見られますが、ほぼ満開の頃合いでしょう。可愛らしくふっくらとした姿は、前述の河津桜とはまた違った魅力を持っていますね。(なんという名前の桜なのかご存じの方がおられたら教えてください。) 「桜」はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹の総称です。そして、現在日本で見られる桜の種類は500種以上もあるのだそうです。 桜といえば染井吉野を思い浮かべてしまいますよね。店舗のすぐ脇に染井吉野が生えているのですが、3月下旬から4月上旬が開花時期なので、まだまだ開花の様子は見られませんでした。染井吉野が開花する頃には寒さも落ち着いて、本格的な春の訪れとなります。春らしい陽気とともに、その咲きっぷりと散りっぷりを楽しめることでしょう。 なんだかんだで、毎年の桜を楽しみにしている自分がいます。そんな方って多いのではないでしょうか。私たち日本人が愛してやまない桜は、古代から日本の文化や伝統と深く結びついて、日本人の精神や価値観に深く影響を与えてきました。長い冬を超えて迎える春の訪れに希望や絆を覚え、その美しさと儚さに無常の概念を思い起させてくれる桜は、日本人にとって単なる花以上の存在なのかもしれません。

河津桜

河津桜

近隣にある静岡県立大学小鹿キャンパスの側道を通りかかったところ、建物と建物の間に「河津桜」が咲いていました。 満開を少しだけ越えた頃合いでしょうか。若葉が目立ち始めていましたが、ギリギリ見ごろに間に合ったタイミングだったと思います。 早咲きの品種である河津桜ですが、寒さの影響から昨年より2週間ほど開花時期が遅れているそうです。例年どおりなら見ごろの時期は過ぎていたかもしれませんので、ラッキーな発見となってくれました。来年はもっと早目に見に来てみようと思います。 それにしても、今まで何度もこの道を通っていたにもかかわらず、こんなところに河津桜が咲いているなんてまったく気づきませんでした。長く居る地域であっても、こうした新しい発見はまだまだあるものです。興味や関心のアンテナを広げておく姿勢を忘れてはいけませんね。

河津桜

近隣にある静岡県立大学小鹿キャンパスの側道を通りかかったところ、建物と建物の間に「河津桜」が咲いていました。 満開を少しだけ越えた頃合いでしょうか。若葉が目立ち始めていましたが、ギリギリ見ごろに間に合ったタイミングだったと思います。 早咲きの品種である河津桜ですが、寒さの影響から昨年より2週間ほど開花時期が遅れているそうです。例年どおりなら見ごろの時期は過ぎていたかもしれませんので、ラッキーな発見となってくれました。来年はもっと早目に見に来てみようと思います。 それにしても、今まで何度もこの道を通っていたにもかかわらず、こんなところに河津桜が咲いているなんてまったく気づきませんでした。長く居る地域であっても、こうした新しい発見はまだまだあるものです。興味や関心のアンテナを広げておく姿勢を忘れてはいけませんね。

心をゆるめてくれるモノ

心をゆるめてくれるモノ

ガラス瓶に名前も知らない草木を挿してみました。 花瓶に切り花を挿して飾ると、インテリアに潤い与えてくれるので気分まで明るくなるのですが、こうした「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」のも・・・なにか好きなんですよね。 このガラス瓶は、光が抜けないと黒色に見えるくらい深い緑色のガラスで出来ています。瓶の中身の品質を維持するためには、光の影響を受けにくい茶色ガラスや緑色ガラスが適しているのだそうです。 ボトルの肩には、KRASとエンボスされた丸型のガラス製の“シール”があります。こうしたシールには、個人の名前やイニシャル・紋章や家紋、居酒屋や商業施設の店名、ボトルに何が入っているかを示す文字やデザイン、商人や醸造家のマーチャントマーク、製造業者の識別マークや商標マーク、時には日付などが刻まれています。 シールは、製造工程の最終段階でボトルの製造業者によって施されました。ガラスボトル(吹きガラスまたは成型ガラス)がまだ温かいうちに“小さな溶けたガラスの塊”を置き、そこに文字やマークが刻まれた金型をスタンプのように押し付けて作られました。 シールが施されたガラスボトルの最古の記録は、1571年にまで遡るというのだから驚きです。元々はワイン用のガラスボトルにこうしたシールが施されました。その頃はワイン自体が高価でしたが、ガラスボトルに入ったワインはさらに高価なものでした。シールに刻印された個人の名前・イニシャル・紋章などは、ワインの所有権を示すだけでなく、ある種のステータスシンボルとしても機能したのだそうです。 今回撮ったボトルは、ワインボトルではありません。フォルムやガラス色を見ますと、ベネディクティン(フランス産のブランデーベースのリキュール)の古いボトルに良く似ているのですが、ベネディクティンボトルとはシール部分のデザインが全く違います。また、シールにある“KRAS”という文字も何を示しているのか分かりません。各部の特徴から20世紀前期頃のリキュールボトルと推察されますが、それ以上はいまのところ不明です。ボトルマニア(?)の方で分かるかたがいらっしゃったら、ぜひ教えてください。 さて、細かなウンチクは横に置いておきましょう。 こうした、「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」の、その気負い過ぎていない立ち姿が好きなんですよね。そんなに気を張らないでリラックスしていいんだよ・・・感が出ていて心がほっとします。 必要以上に力んでしまうことの多い現代生活。日々の暮らしのなかに、こうした“心をゆるめてくれるモノ”を取り入れてみてください。  

心をゆるめてくれるモノ

ガラス瓶に名前も知らない草木を挿してみました。 花瓶に切り花を挿して飾ると、インテリアに潤い与えてくれるので気分まで明るくなるのですが、こうした「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」のも・・・なにか好きなんですよね。 このガラス瓶は、光が抜けないと黒色に見えるくらい深い緑色のガラスで出来ています。瓶の中身の品質を維持するためには、光の影響を受けにくい茶色ガラスや緑色ガラスが適しているのだそうです。 ボトルの肩には、KRASとエンボスされた丸型のガラス製の“シール”があります。こうしたシールには、個人の名前やイニシャル・紋章や家紋、居酒屋や商業施設の店名、ボトルに何が入っているかを示す文字やデザイン、商人や醸造家のマーチャントマーク、製造業者の識別マークや商標マーク、時には日付などが刻まれています。 シールは、製造工程の最終段階でボトルの製造業者によって施されました。ガラスボトル(吹きガラスまたは成型ガラス)がまだ温かいうちに“小さな溶けたガラスの塊”を置き、そこに文字やマークが刻まれた金型をスタンプのように押し付けて作られました。 シールが施されたガラスボトルの最古の記録は、1571年にまで遡るというのだから驚きです。元々はワイン用のガラスボトルにこうしたシールが施されました。その頃はワイン自体が高価でしたが、ガラスボトルに入ったワインはさらに高価なものでした。シールに刻印された個人の名前・イニシャル・紋章などは、ワインの所有権を示すだけでなく、ある種のステータスシンボルとしても機能したのだそうです。 今回撮ったボトルは、ワインボトルではありません。フォルムやガラス色を見ますと、ベネディクティン(フランス産のブランデーベースのリキュール)の古いボトルに良く似ているのですが、ベネディクティンボトルとはシール部分のデザインが全く違います。また、シールにある“KRAS”という文字も何を示しているのか分かりません。各部の特徴から20世紀前期頃のリキュールボトルと推察されますが、それ以上はいまのところ不明です。ボトルマニア(?)の方で分かるかたがいらっしゃったら、ぜひ教えてください。 さて、細かなウンチクは横に置いておきましょう。 こうした、「ただのガラス瓶に、なんでもないような草木を挿す」の、その気負い過ぎていない立ち姿が好きなんですよね。そんなに気を張らないでリラックスしていいんだよ・・・感が出ていて心がほっとします。 必要以上に力んでしまうことの多い現代生活。日々の暮らしのなかに、こうした“心をゆるめてくれるモノ”を取り入れてみてください。  

アンティーク ジャグ マグ 流行 復興 流行のサイクル 流行の波 Jackfield Pottery ジェット 黒 十年一日 100年 

百年一日

日々の流行に乗ってみたり追いかけてみたり、疲れてみたり無視してみたり・・・。誰もがそんな経験ってありますよね。「流行」を辞書でひくと、以下のように書かれていました。●ある様式や風俗が世間に広く行われ、用いられること。●その時代の好みに合って一時的に世の中に広く行われるもの。流行は、ブーム、トレンドなどの言葉に置き換えることができます。今風で言うと“バズる”も同様でしょうか。ファッション、髪型、メイクなどが顕著なジャンルと言え、ほかにも建築、インテリア、自動車、家電、食べ物から、音楽、言葉や思想、色や匂いに至るまで流行があります。流行とはその時代の動きや潮流といった動向なので、あらゆるジャンルに存在するものです。(アンティーク業界は本質的には流行に左右されにくいと言えるジャンルですが、特定の分野の人気が高まったりその反対に下がったり、サイズや色合いなどの要望にも動向があったりします。)流行にはサイクルがあります。●ひとつの形式や様式が、その時代の好みに合って、世間に広く行われる、用いられる。●それが落ち着き、衰退する。●一度すたれたものが、見直し・再評価・懐古・回顧されて、リバイバル・復興・再燃・返り咲き・再現・復活、して用いられる。こうした流行のサイクルは、一般的には20年周期とされています。流行のサイクルは、寄せては返す「波」に例えられ、流行の波とも表現されます。社会情勢や文化の変化、新たな技術・素材の導入、メディア環境などと連動して流行が生まれます。その波が去って過去のコンテンツとなっても、時間経過とともに再評価・再編集され、次の流行の起こりへと影響を及ぼしていきます。流行の語源は「物事が、流れる河のごとく世間に流布する」意味を表す漢語だそうです。まさに流れる河のごとく移ろっていくのですね。つまりモノやコトは20年も経つと、古臭くて時代遅れになってしまう・・・ということでしょうか。さて、前置きが長くなりましたが、ここでやっと画像のお話になります。まずは画像左側に写る、ひとつの黒いジャグ。この黒いジャグはJackfield Potteryのジェットウェア・ジャグで、1880-1900年頃のイギリス製のものです。黒い釉薬がかかった本体に、ハンドペイントで金彩とエナメル彩が施された豪華な水差しです。Jackfield Pottery(ジャックフィールド陶器)とは会社名でもあり、光沢のある黒い釉薬で装飾された陶器の総称名・様式名でもあります。Jackfield Potteryは、1713年にリチャード・サースフィールドにより、イングランドのシュロップシャー州アイアンブリッジ渓谷のセヴァーン川南岸にある小さな町・ジャックフィールドに設立されました。その地でサースフィールドと息子モーリスたちは、光沢のある黒い鉛釉を使った黒いやきものを製造しました。灰色から紫がかった黒色の焼成粘土で素地を作り、そこに光沢のある黒鉛釉が通常は容器の内側と外側の両方に塗られているという点でユニークなもので、その作風からブラックウェア、または日本の黒漆器にちなんでジャパニングウェアとも呼ばれていました。最も優れた作品群は、1760年から1772年の間に作られた型模様や金箔で装飾されたものとされます。ジャックフィールド陶器は、1740-1760年頃に最も人気を博しましたが、流行の波が去った1770年頃からは衰退の一途をたどります。しかし、そこから約100年が経った1870-1880年頃に、ジャックフィールドタイプの釉薬が復活・復興を遂げます。復興のキーワードは「黒」でした。復興されたジャックフィールド製品は、本家ジャックフィールド陶器とは少し製法が変わり、厚いテラコッタまたは白い陶器の素地に鉛釉ではないタイプの黒釉をかけたものでした。このリバイバル型ジャックフィールドは、ジェットウェアと呼ばれることもあります。画像内の黒いジャグも、このジェットウェアです。 ---少々脱線、ジェットウェアの“ジェット”とは?ジェットとは、古代の松や柏などの樹木(樹脂)が長い年月をかけて圧縮されて炭化した化石のことです。 和名は黒玉(こくぎょく)と言います。古くはアンバー(琥珀)と考えられていた名残から、ブラックアンバー(黒琥珀)と呼ばれることもあります。ジェットの原石は石炭のような真っ黒の塊なのですが、磨き上げることで、気品溢れる落ち着いた漆黒の輝きを持つようになり、漆黒の宝石とも称されます。人類最古の宝石のひとつとされ、その歴史は石器時代まで遡ります(ドイツやスイスの遺跡から紀元前1万年から装飾品として使用されていたことが判明しています)。1861年にイギリスエリザベス女王がモーニングジュエリーとして身につけたことがきっかけでイギリスを中心にヨーロッパで“大流行”しました。イングランド北東部にある北海沿岸の町ウィットビーが、ジェットの一大採掘地でした。人気の最盛期にはジェットジュエリーやその他の装飾品を作る工場がおよそ200件あったと言われていて、この地のジェットジュエリー製作の最盛期は1870年代とされます。---つまり、ジャックフィールド様式の黒いやきものは、黒が流行していた時期だからこそ求められ、その求めに応じて復興したと言えます。・・・とまあ、左側に写る黒いジェットウェアジャグはそんな背景(物語)をもったアンティークの品物になります。さて次は、画像右側に写る他のたくさんの小さなマグ。これらは、スーベニアマグです。いわゆるお土産物ですね。ヨーロッパ各地の観光地ではスーベニアスプーンと並んで定番のお土産品ですから、海外旅行の際に見かけたこともあるのではないでしょうか。施される絵付けは、当然ながらその観光地にちなんだものです。素材やフォルムも様々で、なかなかどうして可愛らしいです。アクセサリー入れや、一輪挿し、アロマポットなどに使っても良いですし、爪楊枝たてなどに見立てても面白いです。とは言え、アンティークと呼べるほど古いモノではなく、古くてもせいぜい1980年頃くらいなものでしょう。海外旅行の記念として購入するモノの定番ではありますが、なんとなく昭和の海外旅行のイメージがあります(あくまでも私見です)。昔、国内旅行で観光地のペナントとか買いませんでしたか?なにか、ああゆうノリの海外旅行版と言うか・・・(あくまでも私見ですよ!)。そう、ペナント。あの観光地に旅行に行けば必ず売っていた、二等辺三角形の旗に観光地と名所がドーンと描かれたアレです。少し調べたところ、1970年代から80年代にかけて一世を風靡したペナント・ブームはすでに過ぎ去っており、今では日本屈指の観光地である京都ですらお土産屋で見つけるのは難しそうです。閑話休題、話を戻します。今回、並べて撮った黒いジャグと小さいマグ。この両者の間には、時間にして約100年の開きがあります。(人に置き換えたら、ちょうど黒いジャグが曽祖父・曾祖母で、小さいマグが曾孫くらいの差ですね。)時間軸や背景の異なるこの両者を、いま同時に並べて撮ってみましたが存外すんなり絵になるものだなあと感じました。背景をひっくるめて今に残ってきたもの巡ってきたもの・・・とでも言いましょうか。「物事は、流れる河のごとく」繋がっているのだな、と再認識したところです。十年一日どころか、百年一日。時を重ねるということは、流行の波を含めて多くのものを受け入れる懐の深さを持っているさまなのかもしれませんね。(私自身も、そういう大らかな心持でいたいと日々思ってはいるのですが、なかなかどうして思うようにはいかないものです・・・。 アンティークの愉しみかたにはこんな視点もあります、というお話でした。

百年一日

日々の流行に乗ってみたり追いかけてみたり、疲れてみたり無視してみたり・・・。誰もがそんな経験ってありますよね。「流行」を辞書でひくと、以下のように書かれていました。●ある様式や風俗が世間に広く行われ、用いられること。●その時代の好みに合って一時的に世の中に広く行われるもの。流行は、ブーム、トレンドなどの言葉に置き換えることができます。今風で言うと“バズる”も同様でしょうか。ファッション、髪型、メイクなどが顕著なジャンルと言え、ほかにも建築、インテリア、自動車、家電、食べ物から、音楽、言葉や思想、色や匂いに至るまで流行があります。流行とはその時代の動きや潮流といった動向なので、あらゆるジャンルに存在するものです。(アンティーク業界は本質的には流行に左右されにくいと言えるジャンルですが、特定の分野の人気が高まったりその反対に下がったり、サイズや色合いなどの要望にも動向があったりします。)流行にはサイクルがあります。●ひとつの形式や様式が、その時代の好みに合って、世間に広く行われる、用いられる。●それが落ち着き、衰退する。●一度すたれたものが、見直し・再評価・懐古・回顧されて、リバイバル・復興・再燃・返り咲き・再現・復活、して用いられる。こうした流行のサイクルは、一般的には20年周期とされています。流行のサイクルは、寄せては返す「波」に例えられ、流行の波とも表現されます。社会情勢や文化の変化、新たな技術・素材の導入、メディア環境などと連動して流行が生まれます。その波が去って過去のコンテンツとなっても、時間経過とともに再評価・再編集され、次の流行の起こりへと影響を及ぼしていきます。流行の語源は「物事が、流れる河のごとく世間に流布する」意味を表す漢語だそうです。まさに流れる河のごとく移ろっていくのですね。つまりモノやコトは20年も経つと、古臭くて時代遅れになってしまう・・・ということでしょうか。さて、前置きが長くなりましたが、ここでやっと画像のお話になります。まずは画像左側に写る、ひとつの黒いジャグ。この黒いジャグはJackfield Potteryのジェットウェア・ジャグで、1880-1900年頃のイギリス製のものです。黒い釉薬がかかった本体に、ハンドペイントで金彩とエナメル彩が施された豪華な水差しです。Jackfield Pottery(ジャックフィールド陶器)とは会社名でもあり、光沢のある黒い釉薬で装飾された陶器の総称名・様式名でもあります。Jackfield Potteryは、1713年にリチャード・サースフィールドにより、イングランドのシュロップシャー州アイアンブリッジ渓谷のセヴァーン川南岸にある小さな町・ジャックフィールドに設立されました。その地でサースフィールドと息子モーリスたちは、光沢のある黒い鉛釉を使った黒いやきものを製造しました。灰色から紫がかった黒色の焼成粘土で素地を作り、そこに光沢のある黒鉛釉が通常は容器の内側と外側の両方に塗られているという点でユニークなもので、その作風からブラックウェア、または日本の黒漆器にちなんでジャパニングウェアとも呼ばれていました。最も優れた作品群は、1760年から1772年の間に作られた型模様や金箔で装飾されたものとされます。ジャックフィールド陶器は、1740-1760年頃に最も人気を博しましたが、流行の波が去った1770年頃からは衰退の一途をたどります。しかし、そこから約100年が経った1870-1880年頃に、ジャックフィールドタイプの釉薬が復活・復興を遂げます。復興のキーワードは「黒」でした。復興されたジャックフィールド製品は、本家ジャックフィールド陶器とは少し製法が変わり、厚いテラコッタまたは白い陶器の素地に鉛釉ではないタイプの黒釉をかけたものでした。このリバイバル型ジャックフィールドは、ジェットウェアと呼ばれることもあります。画像内の黒いジャグも、このジェットウェアです。 ---少々脱線、ジェットウェアの“ジェット”とは?ジェットとは、古代の松や柏などの樹木(樹脂)が長い年月をかけて圧縮されて炭化した化石のことです。 和名は黒玉(こくぎょく)と言います。古くはアンバー(琥珀)と考えられていた名残から、ブラックアンバー(黒琥珀)と呼ばれることもあります。ジェットの原石は石炭のような真っ黒の塊なのですが、磨き上げることで、気品溢れる落ち着いた漆黒の輝きを持つようになり、漆黒の宝石とも称されます。人類最古の宝石のひとつとされ、その歴史は石器時代まで遡ります(ドイツやスイスの遺跡から紀元前1万年から装飾品として使用されていたことが判明しています)。1861年にイギリスエリザベス女王がモーニングジュエリーとして身につけたことがきっかけでイギリスを中心にヨーロッパで“大流行”しました。イングランド北東部にある北海沿岸の町ウィットビーが、ジェットの一大採掘地でした。人気の最盛期にはジェットジュエリーやその他の装飾品を作る工場がおよそ200件あったと言われていて、この地のジェットジュエリー製作の最盛期は1870年代とされます。---つまり、ジャックフィールド様式の黒いやきものは、黒が流行していた時期だからこそ求められ、その求めに応じて復興したと言えます。・・・とまあ、左側に写る黒いジェットウェアジャグはそんな背景(物語)をもったアンティークの品物になります。さて次は、画像右側に写る他のたくさんの小さなマグ。これらは、スーベニアマグです。いわゆるお土産物ですね。ヨーロッパ各地の観光地ではスーベニアスプーンと並んで定番のお土産品ですから、海外旅行の際に見かけたこともあるのではないでしょうか。施される絵付けは、当然ながらその観光地にちなんだものです。素材やフォルムも様々で、なかなかどうして可愛らしいです。アクセサリー入れや、一輪挿し、アロマポットなどに使っても良いですし、爪楊枝たてなどに見立てても面白いです。とは言え、アンティークと呼べるほど古いモノではなく、古くてもせいぜい1980年頃くらいなものでしょう。海外旅行の記念として購入するモノの定番ではありますが、なんとなく昭和の海外旅行のイメージがあります(あくまでも私見です)。昔、国内旅行で観光地のペナントとか買いませんでしたか?なにか、ああゆうノリの海外旅行版と言うか・・・(あくまでも私見ですよ!)。そう、ペナント。あの観光地に旅行に行けば必ず売っていた、二等辺三角形の旗に観光地と名所がドーンと描かれたアレです。少し調べたところ、1970年代から80年代にかけて一世を風靡したペナント・ブームはすでに過ぎ去っており、今では日本屈指の観光地である京都ですらお土産屋で見つけるのは難しそうです。閑話休題、話を戻します。今回、並べて撮った黒いジャグと小さいマグ。この両者の間には、時間にして約100年の開きがあります。(人に置き換えたら、ちょうど黒いジャグが曽祖父・曾祖母で、小さいマグが曾孫くらいの差ですね。)時間軸や背景の異なるこの両者を、いま同時に並べて撮ってみましたが存外すんなり絵になるものだなあと感じました。背景をひっくるめて今に残ってきたもの巡ってきたもの・・・とでも言いましょうか。「物事は、流れる河のごとく」繋がっているのだな、と再認識したところです。十年一日どころか、百年一日。時を重ねるということは、流行の波を含めて多くのものを受け入れる懐の深さを持っているさまなのかもしれませんね。(私自身も、そういう大らかな心持でいたいと日々思ってはいるのですが、なかなかどうして思うようにはいかないものです・・・。 アンティークの愉しみかたにはこんな視点もあります、というお話でした。